2020年3月14日の午後7時30分からNHKで放送された
「ブラタモリ」で
「島原,天草なぜキリシタンは250年も潜伏できた?」
という興味深い話題が取り上げられていたので、紹介したいと思います。
長崎県の島原、熊本県の天草と言えば、「隠れキリシタン」や「天草四郎」など
歴史の授業で習いましたね。
豊臣秀吉がキリスト教を弾圧した理由
織田信長の後に天下統一を果たした豊臣秀吉ですが、
最初は信長と同じく、キリスト教を擁護していました。
秀吉は西洋音楽も大変気に入っており、西洋楽器による演奏を
3回もアンコールしたらしいです。
ところが、ある時点からキリスト教を弾圧し始めます。
日本では、なぜかキリスト教弾圧の事実ばかりが伝えられ、
ポルトガル人や宣教師の悪事はあまり知られていません。
その主な理由が、
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などです。なかでも日本人を買い取り、世界中に奴隷として売りさばく行為は
秀吉を激怒させたようです。
イエズス会も奴隷売買に関与していたとも言われています。
その他にもキリシタン大名に大量の武器を売るなど、
※このことは後の島原天草一揆で幕府軍が苦戦した理由とも言われています。
秀吉は不穏な気配を感じていたようです。
潜伏キリシタンは250年も潜伏できた?理由
当時キリスト教の取り締まりは村の庄屋が担当していました。
※庄屋とは江戸時代の村役人で村の政治を担当した村の首長的な人
みなさんご存知「踏み絵」を使ってキリシタンを見つけ出したり、
寺受制度を設けて仏教徒に改宗させたりしていました。
※寺受制度(てらうけせいど)とは、お寺による仏教徒ですよ、という証明をしてもらう制度で
キリシタンではないことの証明になる。
しかし、最初は木製だった踏み絵が、耐久性に難があることから真鍮製に変更されました。
真鍮製の踏み絵にはキリスト教のシンボルである十字架が入っていなかったため
キリシタンはやすやすと踏み絵を踏むことができたといわれています。
※踏み絵を作ったのが仏教徒だったため、十字架の重要性を理解していなかったようです。
驚くことに踏み絵のレプリカがアマゾンで売ってました!(;^ω^)
その他にも丸い(マルイ)硬化を八つ(ヤッツ)十字に並べてマルヤ⇒マリア
といって信仰したり
あわびの貝殻の内側の模様を天使やマリア様に見立てて祈ったり、
玄関にしめ縄を1年中かざって神道をアピールしたりして、
かなり厳重にカモフラージュしてキリスト教を信仰し、
摘発を免れていたらしいです。
しかし、後に「天草崩れ」と呼ばれる、
密告によって大勢の隠れキリシタンが摘発される事件が起こります。
隠れキリシタン最大のピンチ!(;^ω^)
なはずですが、
いままで踏み絵や寺受制度などキリスト教撲滅運動をやってきたのに、
こんなに大量のキリシタンがみつかるとは何事か!
と村の取り締まる側が責任を問われるのを恐れたため、
宗門心得違いとされ、処刑されるのを免れたのでした。
※宗門心得違い(しゅうもんこころえちがい)とは解釈が難しいのですが、
キリスト教ではなく、ただの先祖代々の宗教を信仰していた、と判断されたようです。
なぜ潜伏キリシタンは250年も潜伏できた?まとめ
理由をまとめると
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といったところです。
しかし、命の危機にさらされながら250年も信仰を続けるなんて、
宗教の力って絶大ですね。(;^ω^)
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